
困難に直面した牛久市を再生するために!
(2004.1.5)
平成15年11月1日付「広報うしく」は5ページを割いて、一般家庭の生活費に相当する、平成14年度一般会計決算を詳しく報告しました。
そのバランスシートによれば、【牛久市の状況は?】市民一人当たり資産約108万円、負債が約31万円、正味資産は約77万円とありました。よくお分かりになったでしょうか。
失礼を承知で率直に申し上げるのですが、ほとんどの市民のみなさんは分かったようで、分からないような意味不明な感じだったのではないかと思います。結論を一言でいえば、収支はすでに大幅赤字なのです。
代議制民主主義が正しく機能していない
行政は『誰かがそれなりにやってくれているはず』『それなりに責任をもっているはず』だと、私も議員になる前には楽観的にそのように考えておりました。
だれも「まちの財政=経済」を自分のこととして捉えないことや、余り関心がないために、市民はもとより、行財政運営の結果責任を問われるべき政治家や幹部職員においても、危機感をもって『まち』を見守る人が極めて少ないという現状なのです。
有権者の意識が低ければモラルの低い政治が横行するという、代議制民主主義の欠点が如実に表れています。
牛久市の財政はこのままに放置できない厳しさ
決算結果を「過去との比較」或いは「他市町村との比較」等々さまざまな角度から評価することはできますが、そんなことは評論家に委ねておけばよいでしょう。
大切なことは、私たち「市民の暮らし」というスケールで検証することです。広報紙の【指数で見る財政状況】の中で、特に重要な指数といえば【経常収支比率】です。
これを私たちの家計に譬えれば、給与などの確かな収入の92.2%が住宅ローン等の支払いに消えて、残されたお金で自由に使えるのはたった7.8%なのです。
そんな家計を想像してみてください。家族旅行にも行けない、心にまったく余裕のない希望が持てない厳しい暮らしが、経常収支比率92.2%なのです。
それでは、牛久市の財布には幾ら入っているのでしょうか。【実質収支比率】という指数は3.7%とされています。財政の健全性を表すとされるもので、経験的におおむね3〜5%が望ましいとのことですが、総務省が全国の市町村統計に使う指数で、どういう訳か分かりませんが、借金を収入に算入して計算された指数です。
私たちの生活感覚では、【収入―支出=実質収支】が肝心なもので、牛久市の14年度決算をこの計算式にあてはめると、約16億3千万円という大幅赤字なのです。
リーダーに求められる改革を進める勇気
私たちは、家計が赤字になったらどうするのでしょうか。そうです、夜逃げや自己破産をしないためには、お金を使わないようにして収支バランスをとります。
こうした自分のことならできることを、他人のお金の世界でキチンとするのがリーダーたる政治家のあるべき姿なのです。
しかし、「サルは木から落ちてもサルだけど、政治家は選挙に落ちればただの人」という言葉があるように、政治家は次の選挙に落ちないように『喜ばれそうなこと』に気持ちが惹かれやすいものです。
税という他人のお金を使う行財政は、こうした政治家心理と我田引水の業者や有権者がもたれあって破綻へと向かいます。日本も、牛久市も方程式は一緒です。
地方分権の時代は、身の丈にあった行財政運営が求められます。貧しければ工夫を凝らして最も有効に税を生かさなければなりません。収入に見合った支出が基本です。
行き詰ったときは「原点に戻ること」が鉄則です。織田信長やナポレオンも戦況が不利なときは、決死の覚悟で退却して次に備えました。
財政運営も同じです。いつまでも体裁などに拘ればドンドン泥沼にはまります。
『改革』という言葉は受けますが、いざ具体化になると喜ぶ人は余りいません。阪神の星野前監督は「改革は血が流れる」といいました。それでも、目的達成にほかの道がなければ、イバラの道を進まなければなりません。
いかに有権者や市民に受けなくても、実情を説明して優先順位に基づいて不要不急な支出を切る以外の方法はありません。これがリーダーに求められる勇気です。
全国的にも多くの都道府県知事や市町村長たちが決断し、冗費を切り・いい加減な補助金を切り・職員給与にも踏み込んでいます。また、議会も呼応しています。
市民、政治家及び市職員の全てに求められる意識改革
京大の中西輝政教授は『困難に直面した国が再生できるかどうかは国民の気概にかかっており、物質的な価値と精神的な価値、進歩と伝統、個人と共同体・・・というバランスをとることが大事だ』と指摘しています。
また、東工大の芳賀名誉教授は『いま深刻な学力低下よりもはるかに重大なのは、日本が徳を知らぬ国に堕していることだ。「才能より品性」を説いた新渡戸稲造は、現下日本の「高学歴無教養社会」を何と嘆くか』と慨嘆しています。
かつては「恥の文化」と表現され、名誉を重んじていたわが国でも、恥ずかしいなどは死語同然となり、「権利」と表裏一体の「責任」もどこかに行ってしまいました。
『品性』を大切にしましょう。
自分だけの社会はありません。他人がいることを、みんなに助けられて生きていることを確認しましょう。尊重しあいながらみんなで協力して、私たちのまちを再生しようではありませんか。
どんなに助けを求めても、スーパーマン・黄金バット・鞍馬天狗などが助けには来てくれるわけではありませんから、決意して取り組みましょう。
私は市議会のみなさんと力を合せて、市長とも連携を取りながら未来に明るい希望が持てるような年にしようと決意しております。
市民のみなさんの良識を信じまして、どんなに嫌われることでも必要なことは主張して、全力で『まちの再生』のために努めてまいります。みなさんのご理解ご支援をよろしくお願い申し上げます。

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